ベートベーン 第九交響曲
さて年末。
今年もNHKで第九交響曲を聴きました。まあ、日本の年末は第九となっているわけですが、どうしてなんでしょうねぇ。もちろん諸説ありますし、この際、理由なんてどうでもいいやと思いますけどね。こういう、なぜだかしらないし発端も忘れ去れているけれど、なんとなく恒例になっている事なんて、ざらにあります。初詣なんていうのも、なんとなく、何千年も昔からありそうな気がしますが、明治時代以降といいますしね。
ただ、くまさんは、純粋に第九交響曲は好きです。クラシックになれていなかった頃は、合唱の部分は有名で知っていましたがそれ以外の楽章なんて、ぜんぜん興味もなく、「早く終わらないかな」なんて思っていました。それを覆したのは、フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の演奏です。いや、正確には、そのレコード(くまさんが最初に聴いたのは、カセットテープでしたが)の宇野功芳氏のライナーノーツを読んだからですね。
なにせ、第1楽章の冒頭は宇宙が崩れ落ちる有様だとか、第1から第3楽章までで、それまでの音楽のすべての形式を披露し、第4楽章ではそれらをすべて否定する。そして、「そのような音楽ではなく」人間の声こそが、ベートーベンの求めていた音楽だったとか、ラストのめちゃめちゃな早さ(実際、その演奏は、凄い早さです)は、もう音楽の演奏という領域を超えて、全人類が天上の世界に駆け上がる姿のよう、、。第9はまだ終わっていない!、、なんていう燃えるような解説でしたから、いやでもハマッてしまいました。(あ、ライナーノーツの文面そのものではなくて、あくまで、くまさんの脳内解釈ですよん)
それから、何度も生の第九は聴いたし、CDも聴きました。日本では名演といわれる演奏も、外国ではそれほどでもない、ということとか、ナチスとフルトヴェングラーの関係とか(すごいことに、YouTubeなどでは、ナチス時代のフルトヴェングラーの第九の演奏会動画がアップされていますねぇ)いろいろ情報が入ってきます。
でも、やっぱり、この音楽は、なにか特別のような気がします。恐らく(恐らくですよ)、世界中で、宗教や国境や、そういうものを超えて演奏されている曲の一つだと思うからです。ロシアでも演奏されるし、アメリカでも演奏されるし、中国でも演奏されるし、、(恐らく)誰がどこで演奏しても許される曲、つまり人類共通(最大公約数的な)の財産の一つのような気がしますから。
いや、そうであって欲しい、という子供のような願いがあるから、、です。
あ、あと10分ぐらいで来年です。
例年ですと、夜中に神社に行くのですが、今年は風邪気味なので、素直に寝ます。
今年は、途中で更新止まってしまいましたが、来年はなんとか継続してやりたいと思います。
「継続は力なり。」「10年がんばれば、きっと神様からプレゼントが貰えるよ(誰かの言葉の受け売りですが、好きな言葉です)」
では、よいお年を!
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コメント
おめでとうございます。
年末に限らず、無性にクラシックを聴きたくなる時ってありますよね。
特に最近のテレビ番組のお粗末さに腹が立ったときはFMラジオに切り替えて、聞いています。
ミサなどは、身も心も清まる気がしてきます。
音というのか波動というのか「セロ弾きのゴーシュ」に出てくる動物たちの言い分「振動の癒し」もあながち間違っていないような気がします。
新年は修理したターンテーブルでLPが廻るのを見ながらゆっくり聞いてみることにします。
ことしもよろしく。
投稿: せんべい | 2009.01.01 14:40
せんべいさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
いいなあ、ターンテーブルにLPですかー!
せんべいさん、お酒のみながら、コタツに入って聴いていらっしゃるのかな?
まともなオーディオ機器がないので、いつもパソコンか、ipodでしか聴いていませんが、それでもいいものです。
お正月休みは、ワーグナーのニーベルングの指輪のDVDで過ごすつもりです。
投稿: もりのくまさん | 2009.01.01 17:11